1876年7月の明治天皇の函館上陸を記念して建てられた碑です。今の海の日はこの時の巡幸から7月20日に無事横浜に到着したことから、海の記念日となったそうですが、今回初めて知りました。非常に躍動感にある、青銅製の鳳凰でした。
海上自衛隊函館函館基地隊の前から基坂方面を見るとかなり大きな碑が立っていました。近くに説明板があり何を記念した碑なのか分かりました。 上部には鳳凰が取り付けられており函館山方向を向いていました。逆に海側から眺めると鳳凰の後ろ側となり何が乗っているのか確認し辛い状態となっていました。
最初明治9年に巡幸のため明治天皇がこの地を訪れたことから碑が建てられた。その5年後にも天皇はこの地を訪れ、それが当時の函館市民の誇りとなったのであろう。作者は護国神社坂の高田屋嘉兵衛像を制作した梁川剛一。なおこの鳳凰は基坂の下で函館山を向いているので自動的に視線の先には旧函館区公会堂がある。ちなみに明治天皇が巡幸から横浜へ帰港した日が7月20日で現在の海の記念日にとなって国民の祝日となっている。
海上自衛隊函館基地隊本部正門から基坂方面へすこし上ったところのグリーンベルトにあります。 1876(明治9)年7月20日の明治天皇北海道御巡幸の折に旧函館税関(現在の海上自衛隊函館基地隊本部)の桟橋から上陸したことを記念して、1935(昭和10)年に建てらました。 7月20日は「海の記念日(後の国民の祝日・海の日:7月第3月曜日)」とされています。
交通量の多くない普通の道路の中央分離帯が芝生敷きで、その真ん中にありました 背の高い石柱の上部にブロンズで作られた鳳凰の羽ばたいている像でした
堂々とした鳳凰像
1876年7月の明治天皇の函館上陸を記念して建てられた碑です。今の海の日はこの時の巡幸から7月20日に無事横浜に到着したことから、海の記念日となったそうですが、今回初めて知りました。非常に躍動感にある、青銅製の鳳凰でした。
海上自衛隊函館基地隊の近くに立つ大きな記念碑
海上自衛隊函館函館基地隊の前から基坂方面を見るとかなり大きな碑が立っていました。近くに説明板があり何を記念した碑なのか分かりました。 上部には鳳凰が取り付けられており函館山方向を向いていました。逆に海側から眺めると鳳凰の後ろ側となり何が乗っているのか確認し辛い状態となっていました。
昭和10年に除幕された鳳凰像
最初明治9年に巡幸のため明治天皇がこの地を訪れたことから碑が建てられた。その5年後にも天皇はこの地を訪れ、それが当時の函館市民の誇りとなったのであろう。作者は護国神社坂の高田屋嘉兵衛像を制作した梁川剛一。なおこの鳳凰は基坂の下で函館山を向いているので自動的に視線の先には旧函館区公会堂がある。ちなみに明治天皇が巡幸から横浜へ帰港した日が7月20日で現在の海の記念日にとなって国民の祝日となっている。
「海の記念日」の由来となった明治9年(1876年)7月の明治天皇の函館上陸記念碑です。
海上自衛隊函館基地隊本部正門から基坂方面へすこし上ったところのグリーンベルトにあります。 1876(明治9)年7月20日の明治天皇北海道御巡幸の折に旧函館税関(現在の海上自衛隊函館基地隊本部)の桟橋から上陸したことを記念して、1935(昭和10)年に建てらました。 7月20日は「海の記念日(後の国民の祝日・海の日:7月第3月曜日)」とされています。
ブロンズの鳳凰
交通量の多くない普通の道路の中央分離帯が芝生敷きで、その真ん中にありました 背の高い石柱の上部にブロンズで作られた鳳凰の羽ばたいている像でした