三の門から懐古園に入り、奥まで進んだ後は隣接する動物園を通って小諸駅側に戻ってきました。そこにあった洋風の建物が、小諸市立小諸義塾記念館でした。 小諸義塾というのは、明治26年にできた私塾です。あの島崎藤村も教師として教育していたという学校でした。私たちが訪れた日は休館日で、館内を見ることはできませんでした。建物の横には、「惜別の歌」という島崎藤村が作詞をした歌の歌碑が建っていました。
徴古館の裏手から少し上がった所にある施設です。明治中頃に設けられた私塾です。建物前には桜の木があって、桜の花がとても美しかったです。玄関でスリッパに履き替えて入室します。壁の四隅にある展示ケースや天井近くには当時の塾の歴史や塾で使われていた教科書、手紙・写真などが数多く展示されています。二階にも同様の資料が展示されていて、明治時代の人間教育の様子が直に伝わってきます。
小諸駅から近くにある懐古園の隣にあります。懐古園の共通券で入れます。塾長木村熊二による明治時代の私塾です。一階、二階が展示エリアに鳴っていて義塾に関わった教師や卒業した片方について説明がありました○
藤村はここで6年間国語と英語を教えていた。館内には教師たちや義塾にまつわる多くの資料が展示され、藤村に関しても塾長木村熊二より洗礼を受けた記録や使用した教材、自身や生徒たちとの写真などがガラスケースに収められている。また当時使用されていたオルガンと椅子も廊下に置かれていた。藤村は仙台在住の時詩集「若菜集」で文壇デビューを飾ったが次第に試作から遠ざかり、その後訪れ滞在していた義塾時代には創作に専念す...
懐古園に隣接したところに建っている。懐古園の共通券(500円)を持っていれば入館可能だが、ここだけ見学する場合は入館料200円となる。 小諸義塾は1893年開校した私塾で島崎藤村も教師を務めた。1906年に閉校後、この建物は幼稚園舎や病院などに利用され、1994年に現在地(かつての校地向かい)に移築復元された。現在内部は資料館になっており、小諸義塾に関する資料が展示されている。また、建物右手...
明治26年に開校した小諸義塾の記念館
三の門から懐古園に入り、奥まで進んだ後は隣接する動物園を通って小諸駅側に戻ってきました。そこにあった洋風の建物が、小諸市立小諸義塾記念館でした。 小諸義塾というのは、明治26年にできた私塾です。あの島崎藤村も教師として教育していたという学校でした。私たちが訪れた日は休館日で、館内を見ることはできませんでした。建物の横には、「惜別の歌」という島崎藤村が作詞をした歌の歌碑が建っていました。
明治時代の人間教育を知る
徴古館の裏手から少し上がった所にある施設です。明治中頃に設けられた私塾です。建物前には桜の木があって、桜の花がとても美しかったです。玄関でスリッパに履き替えて入室します。壁の四隅にある展示ケースや天井近くには当時の塾の歴史や塾で使われていた教科書、手紙・写真などが数多く展示されています。二階にも同様の資料が展示されていて、明治時代の人間教育の様子が直に伝わってきます。
小諸市観光にて
小諸駅から近くにある懐古園の隣にあります。懐古園の共通券で入れます。塾長木村熊二による明治時代の私塾です。一階、二階が展示エリアに鳴っていて義塾に関わった教師や卒業した片方について説明がありました○
学び舎の息吹
藤村はここで6年間国語と英語を教えていた。館内には教師たちや義塾にまつわる多くの資料が展示され、藤村に関しても塾長木村熊二より洗礼を受けた記録や使用した教材、自身や生徒たちとの写真などがガラスケースに収められている。また当時使用されていたオルガンと椅子も廊下に置かれていた。藤村は仙台在住の時詩集「若菜集」で文壇デビューを飾ったが次第に試作から遠ざかり、その後訪れ滞在していた義塾時代には創作に専念す...
小諸義塾の本館校舎を移築復元
懐古園に隣接したところに建っている。懐古園の共通券(500円)を持っていれば入館可能だが、ここだけ見学する場合は入館料200円となる。 小諸義塾は1893年開校した私塾で島崎藤村も教師を務めた。1906年に閉校後、この建物は幼稚園舎や病院などに利用され、1994年に現在地(かつての校地向かい)に移築復元された。現在内部は資料館になっており、小諸義塾に関する資料が展示されている。また、建物右手...