新庄駅から南へ二キロ位、国道13号線の西側で、大きな通り沿いではないので見つけにくいかも知れません。昭和時代の初期までは、豊かに清水が湧き出ていたようです。柳の清水は、江戸時代、南から新庄城下へ入るときに利用したとされます。
昭和初期まで豊かな清水が湧き出ていたという柳の清水跡。 清水が出ていればもっと雰囲気があるのですが、今は清水を飲んだであろう芭蕉の句碑が柳とともに建っています。
庄内地方には芭蕉はたくさんの句を詠みそして碑を建てていきました。新庄駅からかなり歩くことになりますが、歩くこと30分で到着出来ます松尾芭蕉が当地を訪ね、「水の奥 氷室尋る 柳哉」が句碑に刻まれています。またこの石碑は、1988年11月建立されました。
(柳の清水跡) 大きな通り沿いではないので見つけにくいかも知れません
新庄駅から南へ二キロ位、国道13号線の西側で、大きな通り沿いではないので見つけにくいかも知れません。昭和時代の初期までは、豊かに清水が湧き出ていたようです。柳の清水は、江戸時代、南から新庄城下へ入るときに利用したとされます。
昔はここから清水が湧き出ていたそうです
昭和初期まで豊かな清水が湧き出ていたという柳の清水跡。 清水が出ていればもっと雰囲気があるのですが、今は清水を飲んだであろう芭蕉の句碑が柳とともに建っています。
水の奧 氷室尋ぬる 柳かな
庄内地方には芭蕉はたくさんの句を詠みそして碑を建てていきました。新庄駅からかなり歩くことになりますが、歩くこと30分で到着出来ます松尾芭蕉が当地を訪ね、「水の奥 氷室尋る 柳哉」が句碑に刻まれています。またこの石碑は、1988年11月建立されました。