1783年の浅間山噴火により犠牲になった477名、唯一残った観音堂に賭け上がれ生き残った93名の村人の明暗を分けた階段があります。流された延命寺石標、流死馬供養地蔵、15段に届かず絶命した2人の女性の遺体発掘跡、観音堂を背に村を見渡すと屋根が低い、この辺りはすっぽりと埋まったという景色。隣村有志の情けにて妻亡き人の妻となり この歌が村の再建の執念を感じさせる。一見の価値ありです。
50段の階段が一瞬で火砕流で埋まり生死を分けた15段。ここに来る度、当時の様子が目に浮かぶのはなぜだろう。 ひっそりと厳かな雰囲気がいい場所です。
浅間山の噴火で、在る村が火砕流・火山灰に襲われる 村人が高台の寺に駆けて逃げるも逃げ延びた人は少なく寺の下迄、火山灰に覆われる、後年に、歴史から掘り返し実地検分すれば、寺下の階段で、村人2名の遺体が発掘される。小さな寺だが歴史から垣間見る火山の怖さを実感する。
火砕流について何も知らない事を実感させられる。実際の速度を聞いて逃げられるか不安になった。早めに避難したい。
ホテルからタクシーで向かい、そのまま万座鹿沢口に向かいました。タクシーの運転手さんが案内をしてくださり、当時の火砕流の様子がわかりました。お茶やキャベツの浅漬けなどもあり地元の方のあたたかさを感じました。
無料ガイドさんに聞く鎌原観音堂の歴史
1783年の浅間山噴火により犠牲になった477名、唯一残った観音堂に賭け上がれ生き残った93名の村人の明暗を分けた階段があります。流された延命寺石標、流死馬供養地蔵、15段に届かず絶命した2人の女性の遺体発掘跡、観音堂を背に村を見渡すと屋根が低い、この辺りはすっぽりと埋まったという景色。隣村有志の情けにて妻亡き人の妻となり この歌が村の再建の執念を感じさせる。一見の価値ありです。
天明に思いを馳せる
50段の階段が一瞬で火砕流で埋まり生死を分けた15段。ここに来る度、当時の様子が目に浮かぶのはなぜだろう。 ひっそりと厳かな雰囲気がいい場所です。
日本にもあった・・イタリア‐ポンペイ遺跡
浅間山の噴火で、在る村が火砕流・火山灰に襲われる 村人が高台の寺に駆けて逃げるも逃げ延びた人は少なく寺の下迄、火山灰に覆われる、後年に、歴史から掘り返し実地検分すれば、寺下の階段で、村人2名の遺体が発掘される。小さな寺だが歴史から垣間見る火山の怖さを実感する。
考えさせられる場所
火砕流について何も知らない事を実感させられる。実際の速度を聞いて逃げられるか不安になった。早めに避難したい。
江戸時代の噴火
ホテルからタクシーで向かい、そのまま万座鹿沢口に向かいました。タクシーの運転手さんが案内をしてくださり、当時の火砕流の様子がわかりました。お茶やキャベツの浅漬けなどもあり地元の方のあたたかさを感じました。