関ヶ原の戦いで島津家が西軍に組みしたことは有名ですが、その島津が敵前で踵を返して鹿児島に逃げ帰ることができました。その際に奮戦した武将のお墓です。
いつかは詣でたいと願っていた縁者の墓石。大きな通りからも島津軍勢の通り道には丸に十文字の幟が随所にあります。墓石は烏頭坂の途中にあります。通りから数メートル登った林の中にポツンとありました。今でも近隣の方達から手厚く供養をして頂いている様で献花が絶える事は無いと地元の方のお話しでした。
うっそうと茂る林の中を結構手入れされた道を進む感じですが、入り口のしっかりとした案内票にしてはお墓自体は思ったよりは小さめの供養塔のようなものでした。 島津豊久は安土桃山時代の武将です。
命を落とした島津豊久の墓があると、途中の島津ゆかりの道よ云う立地図を見て、その方向へ向かった。ひっそりとした雑木林の中にあった立派な石碑と石を積んだ古い墓。そっと手を合わせた
関ヶ原の戦いで西軍に参加し、大将島津義久を無事に薩摩に帰すためしんがりを務めて上石津で亡くなった島津豊久公の墓が国道より少し左に入ったところにあります。こじんまりとしたお墓がひっそりとありました。
島津の退き口で有名な武将
関ヶ原の戦いで島津家が西軍に組みしたことは有名ですが、その島津が敵前で踵を返して鹿児島に逃げ帰ることができました。その際に奮戦した武将のお墓です。
今なを献花が絶える事の無い名将の墓
いつかは詣でたいと願っていた縁者の墓石。大きな通りからも島津軍勢の通り道には丸に十文字の幟が随所にあります。墓石は烏頭坂の途中にあります。通りから数メートル登った林の中にポツンとありました。今でも近隣の方達から手厚く供養をして頂いている様で献花が絶える事は無いと地元の方のお話しでした。
意外に小さい
うっそうと茂る林の中を結構手入れされた道を進む感じですが、入り口のしっかりとした案内票にしてはお墓自体は思ったよりは小さめの供養塔のようなものでした。 島津豊久は安土桃山時代の武将です。
関ヶ原の合戦にて
命を落とした島津豊久の墓があると、途中の島津ゆかりの道よ云う立地図を見て、その方向へ向かった。ひっそりとした雑木林の中にあった立派な石碑と石を積んだ古い墓。そっと手を合わせた
上石津の史跡となっています
関ヶ原の戦いで西軍に参加し、大将島津義久を無事に薩摩に帰すためしんがりを務めて上石津で亡くなった島津豊久公の墓が国道より少し左に入ったところにあります。こじんまりとしたお墓がひっそりとありました。