出羽国分寺薬師堂の境内にある顕彰碑です。国分寺まで来た際には足を止めてこの石碑も見てもらえばいいと思います。
宮城浩蔵氏は1852年天童市に生まれ、大学南校(東京大学の源流)を経て、1872年から司法省明法寮(後の司法省法学校)に入学、フランス語を学んだ後、卒業後はパリ大学・リヨン大学にてフランス法律を学んだそうです。帰朝後は、日本の法典編纂に力を尽くし、また1881年には明治法律学校(明治大学の前身)を設立し、教頭として明治大学発展の基礎を築いたとの事です。この顕彰碑は1918年に校友らの手によって建立...
出羽国分寺境内にあります。
出羽国分寺薬師堂の境内にある顕彰碑です。国分寺まで来た際には足を止めてこの石碑も見てもらえばいいと思います。
出羽国分寺境内にあります。
出羽国分寺薬師堂の境内にある顕彰碑です。国分寺まで来た際には足を止めてこの石碑も見てもらえばいいと思います。
明治大学の設立者
宮城浩蔵氏は1852年天童市に生まれ、大学南校(東京大学の源流)を経て、1872年から司法省明法寮(後の司法省法学校)に入学、フランス語を学んだ後、卒業後はパリ大学・リヨン大学にてフランス法律を学んだそうです。帰朝後は、日本の法典編纂に力を尽くし、また1881年には明治法律学校(明治大学の前身)を設立し、教頭として明治大学発展の基礎を築いたとの事です。この顕彰碑は1918年に校友らの手によって建立...
明治大学の設立者
宮城浩蔵氏は1852年天童市に生まれ、大学南校(東京大学の源流)を経て、1872年から司法省明法寮(後の司法省法学校)に入学、フランス語を学んだ後、卒業後はパリ大学・リヨン大学にてフランス法律を学んだそうです。帰朝後は、日本の法典編纂に力を尽くし、また1881年には明治法律学校(明治大学の前身)を設立し、教頭として明治大学発展の基礎を築いたとの事です。この顕彰碑は1918年に校友らの手によって建立...